個性派女優でありながら歌手としても活動している夏木マリさんについて、昔の画像や写真が美しいと話題になっています。気になったので早速まとめてみました。
夏木マリの生い立ち・プロフィール
夏木マリさんは印象派の女優としてドラマや映画・アニメのアフレコ等、数々の活躍をされているかっこいい女優というイメージが大きいですが、若い頃はとてもセクシーな美人だったという噂があります。
そんな夏木マリさんの若い頃はどのような女性だったのでしょうか。
1952年5月2日生まれ。
東京都豊島区出身。
身長163cm、血液型はО型。
女優、歌手夏木マリさんは1971年、19歳の時に本名の中島淳子名義で「小さな恋」にて歌手デビューを果たします。
そんな夏木マリさんは、ジャニス・ジョプリンのような曲を歌いたかったそうですが希望は受け入れられてもらえず、清純派アイドルとしてデビューしたのです。
しかし、あまり注目されず売れなかった夏木マリさんは、キャバレー周りの日々を過ごしていたそうです。
夏木マリさんは今となっては大物女優として名を馳せていますが、下積み時代というか、売れない時代というのがあったんですね。
それでも、持って生まれた才能を開花させるために一生懸命努力して、今の夏木マリさんがあるのだと思います。
1973年に現在の夏木マリ名義で「絹の靴下」を発表。妖艶な振り付けやフィンガー・アクションが盛り込まれた同曲は大ヒットした。
見てください!この妖艶な姿!(高田社長風)
「絹の靴下」を歌っているワンシーンです。当時としては強烈なインパクトのあった曲でもあり、瞬く間に大ヒットを遂げたのでした。
21歳の時の夏木マリさん。とても快活かつセクシーな印象で、若々しいです!
それにしても現代の20代と言えば、どこかしらあどけなさが残る人が多く、それが若く見える長所でもあり、大人っぽさに欠けるという短所でもありますが、夏木マリさんの場合は20歳そこそこにも関わらず、大人の色気抜群で素晴らしいですね!
その後各局の歌番組に続けて出演するなど多忙な日々を過ごすが、低色素性貧血で3か月の入院を余儀なくされ、復帰した時には仕事が激減し、再びキャバレー回りの生活に逆戻りしてしまう。
突如として大ブレイクした夏木マリさん。嬉しい悲鳴と言うべきなのかは分かりませんが、疲れが祟ったのか、病に倒れてしまいます。
とは言え、貧血の一種であり、そこまで重篤な病気でもなかったため、3ヶ月の入院で済んだのは不幸中の幸いと言うべきでしょうか。
しかし、3ヶ月席を空けただけで仕事が激減してしまうとは、芸能界は厳しい。いや、一般人もそうか・・・。
その後、仕事中、演劇を仕事としている観客に舞台出演に誘われ、舞台の仕事を始める。1990年に単身ニューヨークへ行き、自分も何かを発信してみたいと思うようになる。
お客さんとの出会いの中から、奇しくも舞台活動へと舵を切ることになった夏木マリさん。諦めない限り、運命の出会いはいつどこで待ち構えているか分からないということですね。
そして1993年、企画から構成、演出、出演まで全てを手がける舞台表現『印象派』を発表。以降、2006年のvol.8までで9作品・80以上のステージを重ね、国内はもとよりドイツ、フランス、イギリス、ポーランドでも公演を行い、高い評価を得た。
いくら舞台活動へと進んだからと言って、大抵は一演者としてしか花開かず、その後は消えていってしまう人も多いと思いますが、夏木マリさんは違いました。
有名になるだけに留まらず、企画から始まり出演まで、全て自分の手でプロデュースするという徹底ぶり。こういう所で差が出てくるわけですね。
1995年、小西康陽からのアプローチを受けミニアルバム『九月のマリ-』を発表。
小西康陽と言えば、今や「レコード番長」とも呼ばれる大物のDJ。
当時は、デモテープ制作集団の「ピチカート・ファイヴ」のリーダーとしても有名な彼に見初められるとは、思ってもいなかったでしょうね。
以降も精力的な活動をされ、
2008年、自らが主宰するパフォーマンス集団「Mari Natsuki Terroir(MNT)〔マリナツキテロワール〕」を立ち上げ、東京都現代美術館での『イン・トランジット』公演を経て、2009年、1人ですべてを手掛けてきた『印象派』から集団での創作へと進化させた『印象派NÉO』を発表。Vol.1『わたしたちの赤ずきん』を上演する。
また、2011年に斉藤ノヴ氏と入籍したことを、その年の5月に発表。
2011年結婚
プライベートでは2007年、パーカッショニストの斎藤ノヴさんと交際中であると発表。そして「フランス婚」と表現し、籍にこだわらないことを明かしていました。
さらには2015年になると、キャリア44年目である62歳で、自身初となる全国ライブハウスツアー「夏木マリ MAGICAL MEETING TOUR Live & Talk 2015」を開催します。
更に更に、2016年には、
華原朋美、土屋アンナ、シシド・カフカ、LiLiCoと女性コーラスユニット「and ROSEs」(アンド・ローゼス)を結成。
飛ぶ鳥を落とす勢いでドラマや映画、舞台、音楽活動と、様々な分野で活動を広げ、現在も大活躍されている大ベテラン女優なのです。
夏木マリの若い頃の写真・画像が綺麗!
そんなマルチな活躍を見せる夏木マリさんですが、若い頃の画像がとても綺麗でセクシーだと話題になっています。一つ一つ紹介していきますね。
夏木マリの若い頃画像その1
白黒なので相当若いと思いますが、なんともセクシーで妖艶な姿ですね!当時の男性たちはメロメロだったのではないでしょうか。
夏木マリの若い頃画像その2
こんな高校教師がいたらもう、授業に集中出来ません(笑)。
夏木マリの若い頃画像その3
まるで海外女優のような妖艶な顔立ち。
夏木マリの若い頃画像その4
今度は哀愁漂うアンニュイな表情を見せる夏木マリさん。はっきりとした目鼻の画像も綺麗ですが、このような画像もとてもいいと思います。
夏木マリの若い頃画像その5
とあるジャケット写真ですが、これも夏木マリさんの魅力がいっぱいの画像です。
夏木マリの若い頃画像その6
だめだっ・・・!あまりにセクシー過ぎて見てるこっちが赤面してしまうほどです。一体どうしたらこのような色気が生まれるのでしょうか?
夏木マリの若い頃画像その7
これは1983年に公開された映画「里見八犬伝」でのワンシーン。
怖い・・・怖すぎるよ夏木マリさん!でも、この時、御年31歳の夏木マリさん。現代の31歳にこの貫禄を出せる人はいるのでしょうか!?
夏木マリの若い頃画像その8
同じく里見八犬伝の夏木マリさん。もう目力に圧倒されています。こんな目で睨み付けられたら、例え屈強な男でも身動きが取れなくなってしまいそうです。
夏木マリの若い頃画像その9
南国での撮影でしょうか?今と違って髪がフサフサです。
夏木マリの若い頃画像その10
今度は学生時代とみられる写真です。
流石にこれは現在の面影が殆どと言っていいほどなく、純真な少女といった感じですね。その辺の近所にいそうな感じです。
このような純真な眼差しの少女が、デビュー後のような妖艶さを放つようになるなんて、当時は誰も想像が付かなかったことでしょう。
夏木マリの若い頃画像その11
「お手やわらかに」作詞 阿久悠 作曲編曲 川口真 歌 夏木マリ
「黄金と情熱」作詞 阿久悠 作曲編曲 川口真 歌 夏木マリ1974年頃に発売されましたシングル盤レコードです。
すでに人気が出ていました頃の夏木マリさんの曲ですが、曲のスケールという点では、ちょっと小粒ですね。よくあるアイドルがファンに対してのみ歌われているような感じの曲でした。
夏木マリさんが22歳の頃に出したシングルレコードのようですね。こんな色気のある22歳が今の世の中にどれだけいるのでしょうか・・・。
夏木マリの若い頃画像その12
これは若い頃というより幼少期w
なんともかわいらしい感じですが、面影はさすがに全くありません。
夏木マリの若い頃画像その13
これは高校時代の夏木マリさんです。
高校時代の夏木マリさんはバンドの追っかけをしていたそうですよ。
そのバンドとは「ザ・タックスマン」。バイトで稼いだ金を全てつぎ込んだというのですから、当時はミーハーな女子高生だったことがうかがえます。
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