この記事では、2018年7月から放送されたドラマ「サバイバルウェディング」に出演して話題となった伊勢谷友介さんの兄弟や父親についてまとめてみました。在日韓国人という噂は本当なのでしょうか?

伊勢谷友介に異母兄弟がいた!?

伊勢谷友介

元モデル出身で、現在ではドラマやCM出演のみならず、実業家としても活躍している伊勢谷友介さんに、異母兄弟がいるという噂が飛び込んできました。

調べたところ、実際は噂でもなんでもなく、異母兄弟がいるのは伊勢谷友介さん自身が公表されている、紛れもない事実でした。

しかも、その方もまた、業界では有名な人だったのです。

では、詳しく見ていきましょう。

 

伊勢谷友介の異母兄弟関係の兄、山本寛斎とは?二人の仲は?

山本寛斎

伊勢谷友介さんの異母兄弟の兄にあたるのは、ファッションデザイナーでイベントプロデューサーでもある、山本寛斎(やまもとかんさい)さん。なかなか珍しい名前ですね!

異母兄弟とは、簡単に説明すると、父親は同じだけど母親が違う子供同士の事。俗に言う腹違いということですね。

では、山本寛斎さんの簡単なプロフィールから。

ファッションデザイナー、イベントプロデューサー、寛斎スーパースタジオ会長
前名・やまもと寛斎/本名・寛斎(のぶよし)。昭和19年生
次女・山本未來。長女の子(孫)はアメリカ人とのハーフ。
父方・山本家は高知の出身。直八(6代前)、虎八(5代前)、松之進(高祖父)、
峯太郎(曽祖父)、男寛(祖父)、一男(父)
父・一男と母・甲子の間に生まれた3兄弟の長男

幼い頃、両親が離婚。父に引き取られるも、父は育児放棄し、児童養護施設に3兄弟で預けられ、寛斎が7歳で幼い弟たちのめんどうをみるしかなかった。

コシノジュンコ

1年後突然、父が引き取りに訪れ、祖母・友喜の住む岐阜で暮らす事になった。しかし、父親が引き取ったものの育児放棄で弟と共に街を放浪しては警察に保護され、父親のもとへ戻っても仕事の都合で数々の転校を繰り返すなど壮絶な過去があったようです。

日大英文科在学中に、「六本木族始末記」というドキュメントで強烈な刺激を受け、大学を中退、コシノジュンコに弟子入りする。

候補2回目で装苑賞を受賞。昭和46年、やまもと寛斎を設立。既成概念にとらわれない斬新なファッションで活躍。

1973年には、デビッド・ボウイのステージ衣装も手がけ、1975年にはパリで既製服のコレクションを発表した。

コシノジュンコさんと、どことなく服装が似ていると思うのは私だけ?(・∀・)

異母兄弟ということなので、父親は伊勢谷友介さんと同じで、山本一男(やまもとかずお)。職業は紳士服のテーラー(仕立屋)だったのだとか。

山本寛斎さんはデザイナーですから、同じ服飾業界の父親の影響が大きかったのか、同じような道を進んだということなのでしょうね。父親については、後ほど詳しく紹介します。

山本寛斎

俳優の伊勢谷友介さんが2012年に2月頃にテレビ番組「チューボーですよ!」で山本寛斎さんと異母兄弟だと公表したことから世間に伝わりました。

それから週刊誌に掲載されたり、山本寛斎さんがオフィシャルブログに書いたりし、より世間に2人が異母兄弟だということが浸透していきました。

そして驚くのが年齢。山本寛斎さんと伊勢谷友介さんとの年齢差は、なんと32歳

親子供、いや、下手したらそれ以上に差があるじゃないですか!

それもそのはず、伊勢谷友介さんは、父一男さんが59~60歳の時に生まれた子供だというのです。

お父さん・・・元気だったんですね・・・。

ちなみに、伊勢谷友介さんと山本寛斎さんとの仲については、特に仲違いをしているというわけでもなく、逆に特に親密というわけでもなく、可も無く不可も無くといった関係かと思われます。

 

伊勢谷友介と山本寛斎の共通の父親はどんな人?韓国人?画像あり!

伊勢谷友介 父親

上の方でも簡単に書きましたが、伊勢谷友介さんと山本寛斎さんの共通の父親は、山本一男さんという方です。

それでは早速、山本一男さんの簡単なプロフィールから。

紳士服仕立職人(テーラー)/山本寛斎の父
最初の妻・甲子と、昭和18年結婚。二人の間に3男(長男・山本寛斎)

戦後、親戚のもとに弟子入りし、テーラーの仕事を始める。父・男寛が亡くなった頃から、次第に横暴となり、妻に暴力を振るうようになる。

昭和26年、一方的に、甲子に離婚を突きつけ、愛人と再婚。その後も、50歳代半ばまで、結婚と離婚を繰り返し、家族を顧みなかった。

しかし、その一方で、テーラーとしての腕は天才的であった。岐阜で紳士服メーカーの工場長にスカウトされ、中心となり造ったスーツを、昭和33年コンクールに出品、名古屋通産局長賞を受賞した。

晩年、中学時代の同級生や恩師を訪ね歩いた。そのうちの一人・恩師に、公文式学習法でお馴染みの公文公(とおる)がいる。平成6年、71歳で死去。

そしてなんと、一男さんは生涯で7回も離婚・再婚を繰り返したという情報もあります。

伊勢谷友介 父親

それにしてもイケメンですね・・・。7回も結婚と離婚を繰り返した恋多き男というのも頷けます。

そしてその息子である伊勢谷友介さんがイケメンなのも納得です。

 

山本寛斎の若い頃もイケメンだった?

伊勢谷友介さんがイケメンということは、同じ父親を持つ山本寛斎さんの若い頃もイケメンだったのでしょうか?

山本寛斎 若い頃

ということで、山本寛斎さんの若い頃の画像を発見しましたが、まあ、うん。

母親の影響が大きかったということでしょうかね(ノ∀`)

山本寛斎 若い頃

おっ、これはちょっと伊勢谷友介さんに雰囲気が似てるというか、ちょっと面影を感じるというか、どうでしょうか?

 

父親もDV夫だった!?

結婚と離婚を繰り返し、数多くの女性を泣かせてきた破天荒な父親ですが、なんと、DV夫だったという情報も。

上の方に書いた父親のプロフィールにもありますが、「ファミリーヒストリー」という番組内で、山本寛斎さんが語ったことでも広まりました。

寛斎さんの父親、山本一男は、完全にDV男で、妻(母親)も寛斎さんら兄弟もとても苦労しました。妻に暴力をふるっていた一男。他に女性を作って一方的に離婚を言い渡した。

実を言うと、伊勢谷友介さんにも数多くの女性との噂の中に、DV夫だという噂もチラホラとあります。

詳しくは以下の記事でまとめてあります。

⇒伊勢谷友介の現在の彼女は森星?エアガンによるDVで破局の噂?

DV気質が遺伝性の性格だとすると、伊勢谷友介さんにも父親の遺伝子が受け継がれてしまったということなのでしょうか?

いくらイケメンでも、正当な理由無く女性に暴力を振るうのはいけないと思います。

 

伊勢谷友介と山本寛斎の父親は韓国人ってマジ?

山本寛斎

伊勢谷友介さんと山本寛斎さんの父親について調べていると、何やら父親が韓国人だの何だのという情報が飛び込んできました。

そんな伊勢谷友介さんも山本寛斎さんも韓国人なのではないかという噂があります。2人とも韓国人なのではという噂があるということは、そもそも父親が韓国人なのではないのでしょうか?ということです。

なるほど、そもそも父親がというよりは、伊勢谷友介さんと山本寛斎さんが韓国人ではないかという噂が立ち、そこから父親も韓国人ではないのか、という憶測が広がったということですね。

では、何故伊勢谷友介さんと山本寛斎さんが韓国人ではないかという噂が立ったのでしょうか。

伊勢谷友介

伊勢谷友介さんの「伊」は「尹」と、在日韓国人がとても好んで使う字です。

異母兄弟である山本寛斎さんは在日韓国人に多い「左右対称」の名前です。

在日韓国人は、日本語名を名乗る時に、よく好んで使う漢字・文字があります。有名なのは左右対称の名前ですよね。

「小川」とか「山田」とかに代表される、左右対称の漢字を、何故か好んで使いたがるのが在日韓国人です。

それに加え、伊藤の「伊」の字も在日韓国人が好んで使う漢字なのです。

山本未來

そして、山本寛斎さんの娘にあたる、女優の山本未來さんも、例外なく左右対称の漢字を使っているのです。ちなみに、伊勢谷友介さんと山本未來さんは姪の関係ですね。

また、その山本未來さんの旦那、椎名桔平さんとの結婚式の際に、山本未來さんが着た衣装のデザインを山本寛斎さんが行っており、そのデザインが韓国の伝統衣装「チマチョゴリ」に似ているということからも、疑惑は強まりました。

また、

山本未來さんは2008年公開の映画「花影」で流暢な韓国語を話して、在日三世の役を演じたこともあり、山本未來さんは在日韓国人では?とかなり話題になりました。

ということもあり、ますます疑惑に拍車がかかることになるんですね。

ちなみに、椎名桔平さんも在日なのでは・・・と言われているようです。

山本寛斎

とはいえ、これらはあくまで噂も噂。何の根拠もない与太話に過ぎず、正確性に欠ける情報です。

ということで、調べて見たのですが、父親は韓国人ではなく、最低でも伊勢谷友介さんについては、純粋な日本人であることがはっきりしています。

息子が純粋な日本人なのですから、父親についても日本人という風に考えるのが自然かと思います。

そもそも、伊勢谷友介さんに至っては顔つきも韓国人っぽくなく、むしろ彫りの深い西洋系の顔立ちをしています。

母親の国籍についても純日本人という情報もあり、伊勢谷さんの親戚周りが在日韓国人だというのは、全くのデマと見て良さそうです。

 

伊勢谷友介と山本寛斎が初共演!父親についてアシタスイッチで対談!

伊勢谷友介 山本寛斎 アシタスイッチ

異母兄弟の関係にある伊勢谷友介さんと山本寛斎さんが、テレビで初共演したのが、2012年10月にTBS系で放送された「アシタスイッチ」という対談番組。

そもそも、二人が異母兄弟だということを公表したのは、2012年2月に放送された「チューボーでですよ!」で、伊勢谷友介さんがさりげなく発言したのが最初。

司会である堺正章さんはその突然の公表に
「えぇー!? 本当ですか!?」と思わず声をあげたようですよ^^;

あまりにもさらりと言うもんだから、思わず二度聞きしちゃいたくなったでしょうね(@@;)

その流れを受けて、役半年後の2012年10月に、伊勢谷さんと山本さんの対談が実現したという感じでしょうか。

アシタスイッチ

この対談番組で2人は「父のDNAを受け継ぐ者たちとして、どう向き合って生きているか」ということを熱く対談しています。

二人の父親である一男さんは相当のクセモノだった為、同じDNAを引き継いだ二人は、この先どうなるのか、とても不安で仕方がない様子でした。

既に伊勢谷友介さんには多数の女性遍歴がありますし、DV疑惑すらありますからね・・・。

「恋多き父の遺伝子 伊勢谷が受け継いでいる」(山本)

何人もの女性と結婚と離婚を繰り返した父について、山本は、自身はそれが反面教師になったという。人を愛するということは、年単位のようなスパンでは語れないとする山本は、恋多き男といわれる伊勢谷に、そのプレイボーイっぷりが「超一級」と斬りこむ。

山本寛斎さんは、数多くの女性遍歴を持つ父親を反面教師にしているのに対して、伊勢谷さんはそれが出来ていないと、ズバッと指摘する場面がありました。

伊勢谷友介 山本寛斎 アシタスイッチ

そして山本は、伊勢谷が恋愛を繰り返す理由は、3歳で父と別れ、母の手ひとつで育てられたことにあるのではないかと分析。

「無意識のうちに自分の女性のイメージが、母と重なるのではないか」という山本の質問に対して、伊勢谷は「付き合う女性に母を求めている気はない」と否定するが、30歳を過ぎ、自分のなかで認識してきた自分の問題は、父からの何かにあるのではないかと思い始めてきたとき、初めて父親の墓参りに行ったことを明かす。

伊勢谷さん自身は母親の影響は無いと言い切っていますが、潜在意識のどこかで、少なからず無いとも言い切れないのかな、と個人的には思います。

とは言え、父親から何か遺伝的に受け継いでしまっているのではないか、という分析も分かりますし、むしろそう考える方が自然かと思われます。

伊勢谷友介 山本寛斎 アシタスイッチ

「人のために生きて自分が生かされる」(伊勢谷)

伊勢谷は、墓参りに行った理由について「(父が)人に望まれることをあまりしてこなかったということを母からきいて興味をもった」と説明する。何か悪い部分を受け継いでいるとすれば、父親の生き方に自身が向き合うことで、そうなってはいけない、ならないようにしたいという覚悟だ。

伊勢谷さん自身も、自分の性格やしてきたことについてを問題点として認め、自問自答しながら、もがき苦しんでいるのでしょうね。

墓参りをするというのは簡単なように見えて、なかなか難しいものです。人はなかなか行動しない生き物ですからね。

それでも尚、墓参りに行くという行動を起こした伊勢谷さんには、相当な覚悟があったのだと思います。

そして、父親の育ちについて、両親が忙しく愛情が足りなかったことに触れ、「自分は母一人の手で育てられたが、祖父母も一緒に住んで、たくさんの愛情をもらった」と振り返る。「自分がなりたい自分を想像して、自分を律してっていうのが自分の生きる道かなと」(伊勢谷)

と話を続けます。

俳優としての才能だけでなく、映画監督、実業家、などマルチに活動する伊勢谷だが、ファッション一本でやってきた山本にしてみれば、「勝負の場が低すぎる」。

山本は伊勢谷に俳優一本で何故やらないのかと迫るが、“人類が地球に生き残るためのプロジェクト”リバースプロジェクトの代表を務める伊勢谷は、今いちばんのモチベーションは「社会貢献」なのだという。

「自分のために生きていない。人のために生きて、自分が生きることができる」という伊勢谷は、言葉にこそしないが、人に望まれて生きなかった父の分まで生きようとしているかのようでもある。

番組では、その他仕事に対する生き方について、山本が伊勢谷に檄を飛ばす一幕も。山本の兄としての想い、伊勢谷の“山本とは出発点も目指すものも違う”という想い――。

ある物事を極める為には、あれもこれもと手を出すとエネルギーが分散されてしまう。山本寛斎さんは、一点突破しない伊勢谷さんに対して、リソースを集中させるべきなのではないか、と提案しているのですね。

これについては私も山本さんの側の意見に賛成です。

ただ、伊勢谷さん側も何も考えずに、あれもこれもと手を出してきたわけではない。

自分というものをしっかり持った上で、他人のために自分に何が出来るかをしっかりと分析し、自分の出来る範囲で最大限に行動しているということなのかも知れません。

マルチに活動する伊勢谷さんと、ファッションで一点突破してきた山本さん。それぞれの生き様を、とくと見せられた番組でした。

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